さようならおばあちゃん

祖母が亡くなった。

 

私は別におばあちゃん子というわけではないが、

共働きの両親に代わり私を育てたのはその祖母でした。

 

親のような人が死んでしまうって、

こういう気持ちなんだ…とどこか他人事のように思う。

実感が無いのかもしれない。心が麻痺してるかもしれない。

 

ゲームのこととかアイドルのこととか、

別に今じゃなくてもいいことばかりが優先的に脳内に沸いてくる。

脳がわざとそうしてるのかな。人体の神秘だな。

 

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さて、思い出話をさせていただきます。

 

私が生まれたのはオンボロの貸家。

はじめは、父と母と私の3人暮らし。

前述のとおり両親は仕事をしていたので、

私は頻繁に、団地に暮らす祖父母に預けられていた。

 

後から創作した記憶かもしれないけれど、

団地の隣の公園で無限に滑り台で遊んだような、

下の階のおばちゃんが猫を連れてきて

その猫が私のオモチャを舐めていたような、

なんとなくだけど、情景を覚えている。

 

両親が家を建て、祖父母と叔母と同居した。

今おもうと新居で義両親どころか叔母(父の妹)まで同居って頭おかしいし

母の立場なら離婚を考えるレベルだと思うが…よく耐えたものだ。。

 

祖母が私を保育園バスまで送り迎えしていたし、

夜遅くに帰ってくる両親よりも、祖母との時間が長かった。

幼少期の大半は祖父母と過ごした。

父は家事をしないし、母は帰宅が夜遅い。

なので、祖母が家事を全て行っていた。

 

病弱なうえに不安定な職人であった祖父がアテにならず、

祖母は定年まであくせく働き、父たちを育てた。

それでも困窮し、サラ金から借金をしたこともあったという。

まぁ昔だから、多くの人が貧乏だったとは思うけど。

 

そういった厳しい人生を歩んだからか、

祖母はガツガツしていて気が強く、おかしいぐらい社交的で、

しかし学は無いので愚かな判断をしがちな困った人だった。

 

一緒に暮らす中で、衝突したことは数知れない。

祖母の強烈な性格を前に、感謝や尊敬よりも、

呆れ果ててしまうことが多かった。

当然に母(嫁)とは不仲であり、

馬鹿vs馬鹿のくだらない戦いがよく勃発していた。

 

祖母は頭が悪いので口喧嘩では私に勝てず、

不利になると「誰に育てられたと思ってる!」と、

一撃必殺技であるかのようによく捲し立てて来たものだが、

まぁ確かに、別に私は頼んではいないけど

祖母に育てられたというのは間違いない。

 

祖母は定年まで働いてきたから年金は十分に受け取っていたが、

貧乏暮らしの反動か、金の使い方を間違えまくっていた。

あればあるだけ使ってしまうところがあり、

いつも要らないものばかり買ってきた。とくに食べ物。

冷蔵庫が1つでは足りず2つになった。

でもそれを、自分が年金から持ち出ししてまで

私たち孫に食べ物を与えている涙ぐましい姿として

友人たちに吹聴していた。

謎の自己肯定感と作り話は祖母の特技だった。

 

いつも自分が叱られる側だったからか、

私の些細なミスは鬼の首を取ったように大喜びで、

昨日エアコンが付けっぱなしだった!!と3日間ぐらい蒸し返していた。

ちなみに、電源切ったあとの内部クリーン運転状態なのを、

電源が付けっぱなしと祖母が誤認しているだけなのだが、

何度説明しても「言い訳は不要!」と取り合ってくれなかった。笑

 

なんだろう、死んでしまった人を悼むべきだというのに、

悪口ばっかり出てきてしまうな…。

ほんとに、困った人だったんだよ^^;

 

まぁそういう、ウザさの極みみたいな人だったけど、

振り返ってみると、賑やかで楽しい家庭だったかもしれない。

祖母に限らず親戚は誰一人として尊敬していないが、

もともと貧しかったうちの家族も、

二馬力の収入だから、祖母が家事をやったから、

私は保育園から大学までずっと私学に通えたし、

大卒だから就職できたし、今こうして、

自立して生きているんだろう。感謝しなきゃ。

 

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祖母はいつも元気でお喋りでトラブルメーカーだったが、

加齢により、ひとりで家に居るには心配な状況になってきた。

拒否はあったが、嫌々ながらも承諾し、

最終的には介護施設に入所した。

 

この時、私は介護に関連する部署に在籍していた。

現場というよりは、介護疲れでメンタル死んでいるケアラーから

愚痴を聞かされ続けるような仕事だった。

弊社は別に、「どしたん?話聞こか?」と標榜してるわけではないが、

この超高齢化社会、おじさんおばさんの悩みといえば介護なのである。

聞いてくれそうだなと思えば語り出し、止まらないくらいには。

 

客の色んな経験談や、介護関係の講演を聞いて実感したのが、

共依存」に陥っている親子が多いという問題についてだった。

 

「お父さん/お母さんは私が世話しなきゃ!」

「施設にやるなんて悪いことだ!」

と、子が誤解している。

自分を育てた親が弱っている現実を受け入れられてないから、

認知症の奇行に疲弊し、それでも見捨てられない。

 

いっぽう親たちも、優しくしてくれる子に甘えてしまう。

まだ、子が親を介護して当たり前の世代だろうしね。

いつもは甘えているくせに、

介護認定調査員(介護の必要性のランク決める人)が来ると見栄を張って

いつもはできないことも出来てしまう、らしい。

 

そんなかんじで、親子だけの世界が構築され、社会から隔絶される。

共依存カプセル化。これに陥ると厄介なんだ。

足腰もまだ元気なおじさんおばさん(子)が、

お年寄り(親)の世話に追われて自分の時間を持てないなど、

ストレス以外の何物でもないのだから。いつか共倒れする。

 

そんな事例をたくさん見たからこそ、

私は祖母が少し弱り始めてからすぐに、

介護認定を受けるよう助言した。

 

最初は低い等級で、デイだけ通うことになった。

はじめこそ拒否があったが、持ち前の社交性ですぐに慣れた。

苗字ではなく下の名前で呼ばれることにも喜んでいた。

いつしかデイで行われるミニゲームに興じるようになり、

帰宅後は1時間ぐらい、自分の戦績を自慢していた。

 

持論+施設職員さんの私見の受け売りだが、

高齢者は「役割を与える」と元気になる。

デイサービスのミニゲームでプレイヤーに選ぶのでもいいし、

この植木鉢はおじいちゃんが管理してね!って決めるとか。

家庭内なら、カーテンを開けるのはおばあちゃんの仕事ね!とか

軽微でも何か役割分担をあげれば、

自分が必要とされていることを実感して、喜ぶんだと思う。

事実、祖母もデイに通ってすごくいきいきしていた。

 

加齢とともに介護度が上がり、

最初は有料に、最終的には特養に入った。

 

管理されるって大事だなって思ったのが、

祖母は60代の頃から高血圧&肥満で不健康で、

さすがに長生きできないだろうな…という感じだったのだが、

施設に入ってからは、すべての数値が良好になった。

 

祖母の最終的な死因は、老衰でした。

どの数値も安定していて、ただ、加齢で亡くなった。

 

また、祖母は歯磨きもしないし髪も洗わないし

小汚いおばあちゃんだったのだが、

施設に会いに行くといつも綺麗にしてもらっていて、

白髪だけどいつも髪の毛はふわふわだった。

それだけでも本当にありがたかった。

 

何より、あのまま家にいた場合、

認知症により厄介さが増した祖母へ、

家族からのヘイトが溜まることは間違いなかったと思う。

 

ボケ始めの頃、排泄物まみれの衣服を投げつけられたときは、

祖母を憎み、老いた身内を憎む自分の醜さも憎み、

このままではいけない、だから、

このままではいけないと思ったものだ。

 

知ったような口をきいて申し訳ないけど、

祖母を見送って、つくづく思うんだ。

 

愛しているのならば、嫌わないように離れるべきだと。

介護はプロに任せるべきだと。

老人側だって、下手くそな介助やヒステリックな暴言を受けるより

プロに管理してもらったほうが安心だろう。

 

「本人の気持ちが~」とか言い出しちゃったらキリないけど、

在宅で家族が頑張って終える人生と、

施設で管理されて終える人生と、

二択だし、人生は一度だから

別ルートの幸福度と比べることもないだろう。

周りが考えたってもちろん答え出ないし、

本人もそれは、知る由がない。

 

ただ、家族の心身の負担が減ることは、

絶対にマイナスじゃないと私は思う。

私は罪悪感への感受性が強すぎて精神崩壊してしまう…っていうなら

無理にとは言わないけど、、

 

施設入所までは…っていうなら、

在宅の支援をうまく組み合わせるとかでもいいから、

とにかく、介護サービスに頼ることを、悪だとみなさないでほしい。

 

結果として、うちの祖母は、

施設に入ったからこそ、健康に長生きをした。

 

今の時代だから珍しくないのかもしれないけど、

不摂生な祖母が、90代まで生きられるなんて思わなかったなぁ。

 

そして、一緒に暮らしていたときは

あんなに困った人だった祖母に、

晩年、マイナスな感情を抱くことは一度も無かった。

 

そりゃそうだ、たまにしか会わないし、

いつも綺麗に管理されている祖母しか見てないんだ。

 

お世話になった介護士さん、看護師さん、スタッフさん、

本当にありがとうございました。

 

穏やかに別れられたのは、

壮絶な介護に疲弊することもなく、

日常生活を維持できたからだと思ってる。

もちろん、自己犠牲の上に介護を頑張ってる人も偉いと思うよ。

でも、思想や誤解のために選択肢から除いてるなら、

一度、介護サービスの導入を検討してみてほしいです。

心からそう思います。

 

でもお金が…(><)とか思ってる?

本人の年金で足りないなら払ってあげていいと思う。

持ち出しより、受けるメリットのほうがあると思うよ。

いや補填っていうレベルじゃねぇぞ!?ってぐらいお金が無いなら

福祉に相談したほうがいいです。

低所得なら負担割合も低いのだから、それですら払えないってことは

家計がなにか別件でトラブってるんだと思うのでね。

 

(施設で虐待されるかもしれないだろー!!みたいな

 例外をもって反論してくるのはナシでお願いします。。

 あくまで個人の体験談や見聞きした話からの見解です。)

 

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最期の日、入院してから初めてのお見舞いに向かった。

 

「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼び掛けても、

フガフガと呼吸をしているだけで、

目も開けないし、身体を動かすこともなかった。

 

もう数週間前に、

施設に戻ることは出来ない見込みであることは宣告されていたから、

私も、最期の見舞いになるだろうとは覚悟していた。

 

まさか、見舞いの直後に死んでしまうとは思わなかったけどね。

 

 

おばあちゃん。

 

初孫の声を聞いて満足したの?

私を待って、生きていてくれたの?

どんだけ私のことが好きなんだい。

 

おばあちゃん。

毎日送り迎えしてくれてありがとう。

帰りにシルバニアファミリーを買ってくれてありがとう。

ご飯を作ってくれてありがとう。

ジブリのピアノ楽譜集を買ってくれてありがとう。

 

おばあちゃん。

おばあちゃん。

おばあちゃん。

 

おつかれさまでした。またね。