お別れロック

2011年。

リーマンショック就職氷河期とされた時代。

大震災まで起こって、この世の不運を全て受け持ったような気持ちになっていた。

有名大学のブランド力でエントリーシートは全通だったが、壊滅的なコミュ障であるため面接で落ち続ける学生が、そこにいた。

 

奇をてらって薄ら寒いことを言ってしまった自己PRを猛省したり。

論破したがりな法政大生に滅茶苦茶にされた集団面接に憤ったり。

学の無さそうな採用担当者たちに切実に頭を下げた最終面接の帰り道、道路に出て数分で届いたお祈りメールに絶句したり。

 

氷河期だから…という以前に、人間力や好感度によって低評価を受けること自体が辛くて、かなり参っていた記憶がある。就職活動なんて二度としたくないね。。

大学名のお膳立てがあっても失敗する自分への絶望感も半端なかった。

 

友達は大手企業に受かっているのに。

大学で真面目に勉強してきたのに。

謙遜して、皆が嫌がる職種を狙ってるのに。

なんで自分ばかり上手くいかないんだろう、と。

 

なんだか過激な発信をしたくなって、いつも口汚く愚痴ばかり言うから、その時期に友達も失ってしまった。

 

自暴自棄な就活生がエレキベースに出会ったのは、

なんかの企業説明会の帰りだったか、

たまたま通りかかった御茶ノ水の楽器屋だった。

 

別に、バンド音楽が特に大好きだとか

尊敬するベーシストが居るとか

そういうのは全く無かったのだけど

 

なんとなく、低い音のほうがカッコいいとか、

ベースはノッポがやりそうなイメージとか、

弟がギターをやってるから避けたいとか、

 

色々と考えたところ、

高身長で闇深い自分に似合う楽器はベースだと感じてしまい、初心者用セットを購入。

 

アンプやシールドやチューナーが付いてるので、すぐに弾くことができた。

ちな、チューナーは未だにこれを使っている。それ以外はすぐに壊れてしまった。

 

ニコニコ動画で「弾いてみた動画」を検索し、

譜面を無料公開してくれている投稿者がいれば

ありがたくダウンロードした。

 

厳しい現実から逃避するのに、音楽はちょうどよい。難しい部分はシカトした「めざせポケモンマスター」を、毎日練習した。

 

自己流だし全く出来てないのだが、

バンドを組んだらどんな感じだろう!?と考えるところまで妄想は進んでいた。

 

初対面の人にも、自分はベースを練習していると誇らしげに話していた。

当時大学生だったからか、楽器をやってる人は意外と居て、ギターが多かったけどたまにベースの人も居た。ベースやってるんですね!と最初は盛り上がるのだが、私達の世代は大半が椎名林檎を信仰している(※諸説あります)ので、亀田誠治さん良いよね!と同意を求められることが多かった。私は「憧れのベーシスト」とか特に居ないし、誰かの技法を真似るレベルにすら達していなかったから、温度差があった。

 

そして、軽音楽をやっている人でまともな人間は一人も居ない(※諸説あります)ことにも気付いてしまった。

 

まず、普通の人は羞恥心があるから、自作の痛々しいポエムを披露したりはしない。そういうのってこっそり未送信メールに入れておくものであって、「俺、作詞とかもしてる。一応。」とか人に明かすのは異常だ。

成功しているミュージシャンならば作詞までできるなんてカッコいい!!のだろうけど、大半が成功しないのでね。

 

楽器とか音楽よりも、御自分を愛しているんだなぁ…と感じる人が多かった…というか、軽音楽やってる人ってそういう人としか会ったことがない。

不良っぽいことを本気でカッコいいと思っていそうなカッコいい系が大半だが、そうじゃないとしても変な人か危ない人しか居なかった(※諸説あります)。

「おっ!じゃあバンドを組もうか!」みたいな話も出たことはあったのだが、仲良く出来る気がせず、実現しなかった。今後もないと思う。

 

大学時代の終盤は人生で1番沈んでいた時期だ。

コミュ障があだとなり、他人の悪意を見落とした。

酷い目にあって、人間嫌いが加速し、

被害者意識だけを燃料に周りに当たり散らすクリーチャーと化していた。

就活生時代も荒れていたけど、更に悪化して、

いよいよ人生がオワッていった。

 

優秀な友人の「社会人になって自分で習おうとしたらめっちゃお金かかるじゃん!」という指摘に感化され、学生時代はほぼフル単でたくさんのことを学んでいた。

そのため、無い内定でも強制退場となり、私はニートになってしまった。

 

現実逃避の一環として、ベースは孤独に独学を続けた。

どんな音楽を聴いててもベースラインばかり気になるし、低い音のほうがカッコいいなと思っていた。

無職のくせに遊んでいると親に咎められるので、練習は控えたけれど。

 

そのあと色々あって就職先が決まった。

ラクそうな仕事を選んだ。なかなかの競争率のはずだが、学歴が良かったから採用されたんだと思う。

 

自分の稼いだお金を自分のために使って良い状況になって、まず、ボロボロになってきた初心者ベースを買い替えようと思った。

 

ベーシストには詳しくない。

聴く曲はアイドルが多い。

こんな音が出したい!とかも、脳内にメニューがないから思いつかない。

楽器のメーカーやブランドにも疎い。

 

そんな私が選んだのは、山口メンバーと同じブランドのベース。35万円ぐらい。

 

日本人くらいしか好まない(※諸説あります)バーガンディー色の美しいベースを手に入れ、

私のテンションはマックスだった。

 

独学での練習も5年目ぐらいだっただろうか、新規開拓はせず、めざせポケモンマスターオリオンをなぞるばかり弾いていた。

自分が上手くなっていると錯覚し、新品の美しいベースで、MuseのHysteriaを弾こうとする。

 

いや、出来ない。

 

その時、先生に教えてもらうしか無いなと思った。

 

まず、インターネットで教室を探した。

 

ギター教室だけどベースも教えるよ、と謳っている音楽教室のホームページを発見。

1番近くの教室ですら東京都ではあったが(私は神奈川県民)、生活圏域を通る小田急線の駅だし、頑張れば通えると思った。

楽器の貸出もあるようで、手ぶらで行けるのも魅力的。

早速、体験レッスン申込をした。

 

…が、メールの返信はこう。

「ご希望の教室では、ベースの講師が居ないので、スカイプレッスンになります!」

 

いやいやいや…

自宅のショボい設備(狭いし、近所迷惑になるのでヘッドホン)でやるなら意味ないし、

ちっさなパソコン画面を見てるだけならニコ動でいいし。。

 

話が広告と違うので止めると捨て台詞を吐き、再度検索をしたのだけど、

ほんっとにこの世にベース教室が少ない。

 

都会に行けばあるのかもしれないが、

都心から遠いところに住んでいるから厳しい。

当たり前っちゃ当たり前だ。普通はギターを選ぶ。

敢えてベースを選んだ変態のために

リソースを割いてくれるところは少ないのだ。

 

しかし、灯台下暗しだった。

いつも乗り換えで使っていた駅の楽器屋に、

併設している音楽教室を発見。

 

資料だけ持ち帰り、簡単に通えるしちょうどいいと思い電話をかけた。

 

電話に出たのは明るい女の子だった。好意的で感じの良い接客で、すぐその気になった。

実は、この女の子は知り合いだった。私は小学生時代に数回会っただけだけど、友人の大親友なんだ。

あとでその共通の友人の結婚式でこの事実を知った。向こうは名前で気付いてたんだろうな〜、私は全く気付かなかったから驚いた。笑

 

そして迎えた体験レッスン。

先生はロックンロールな見た目の長髪おじさん。

いまバンドで練習している曲はあるの?と聞かれ、

バンドは組んでいない、練習はしていない(嘘)、基礎から学びたい、と自分語りをした。

 

初心者なのに、そんな良いベースを?(笑)と指摘されてしまった。

張り切りすぎてて恥ずかしい限り。

 

ちなみにそのあと何年何年も、先生はことあるごとに楽器を褒めてくれた。

いわく、やっぱサドウスキーは音が良いねぇ!とのこと。色んな楽器に触れてきた先生がそう言ってくれるんだから、そうなんだろう。

無理して背伸びして買ったけど、正解だったと思える。

 

それからレッスンを受けるようになった。

はじめのうちは、手首のアングルとか指の形とか

基本的なところを矯正した。

 

そしてリズム練習。

やりすぎるとノイローゼになるからほどほどでいいよ!と先生は言うのだが、

練習しないと全然できなくて大変だった。

 

チューニングは、ハーモニクスで合わせる。

音がズレてるとぐわんぐわん振動するから、

耳と触覚で調整していく。

初めはチューニングだけで30分ぐらいかかってしまった。

未だにこれ、体調悪いとき全然できない。

世界中が半音ぐらい下がって聞こえる日もある。

 

ある日、音楽教室がつぶれた。

併設の楽器屋さんも無くなった。

 

私は先生と一緒に、ヤ◯ハ音楽教室に移籍した。

意外と近場に、ほかの音楽教室があった。

 

あたらしいスタジオは、駅からはちょっと歩く。

田舎で大きな楽器を背負っていると、

なんだかやたら声をかけられる。

ストリートミュージシャンみたいに、おおやけに開かれた存在に思えるのかもしれない。

 

それは何の楽器なの?という質問が多いかな。

ギターにしては大きいし、不思議なんだろう。

 

先生は昔の洋楽ロックが好きなようだ。

AC/DC、イーグルスビートルズ、ディープ・パープル…

 

私は幼少期からアイドルばかり聞いてきたし、

洋モノにはあまり興味がない。

正直、めっちゃ有名だとしてもぜんぜん知らなくて

新鮮な気持ちで練習することが多かった。

 

いつか自宅でホテル・カリフォルニアを練習していたら、年金暮らしの母が、

「あっ!懐かしい!大好きな曲!!」と大喜び。

私は初めて知った曲だったけど、親世代にウケが良い。他の曲も、親は知ってることが多かった。

 

練習するにあたりじっくり聞いてみると、

たしかに名曲というのは美しいものだなと思う。

 

アイドル音楽も楽しいけれど、

やはり、美男美女が歌って踊ってという加点が大きい。その年は覚えてても、数年もしたら飽きて忘れてしまったりする。あと、なかなか「共通の話題」になりえない。

 

私はキモいヲタクにありがちな「メジャーどころを敢えて選ばない俺マジ異端カッケー」なとこがあるので、

大勢が好きな曲ならば端から避けている。ビートルズなど聴こうと思ったことがない。

レッスンを通して、そういう触れてこなかった名曲を学べたのは大きい。

こんなに良い曲だったんだ!と感動できるし、上の年代の人と話すのに、けっこう良いネタになってくれたりもするから助かる。

 

その日もいつもの通りのレッスン。

ビートルズストロベリーフィールズフォーエバーを、自分なりのアレンジで弾く課題だ。

10年もやれば上達はしてるのだろうけど、未だにアレンジとかは恥ずかしくて苦手だ。

和ロックを思わせるダサいモチーフが偶発的に出来て「あっこれは違っ///」と焦ったりしている。

 

来月の予定はまた連絡するね!と先生に言われ、分かりました!と答えて帰った。

先生はステージの活動などもあるからか、直前にならないと予定が決まらないのはいつものことだ。

 

そして、結局それが最後のレッスンだった。

 

別のギタリストの先生がベースも教えられるって言うけど、どうする?とヤマ◯から聞かれたが、

失意の中で「辞めます」と伝えた。

 

怒っちゃいないが、十分な説明は無かった。

一身上の都合で先生が退職されます、との連絡だけだからね。

なにか重い病気だろうか。◯マハと仲違いしたか?まさか、逮捕された?

色々と想像したけど、答えは降ってこないし、たとえ答えを聞いたところでもう、私の唯一の先生は先生をお辞めになったのだ。

 

自由に練習してみようと思ってベースを手に取ったが、何も思い付かなかった。

うまく弾けても失敗しても、フィードバックも称賛もしてもらえない。虚しくて、元の場所に置いた。

 

私が自分の意志で、昔のロックを聴くことはない。

私のロックの知識はきっともう増えない。

 

具体的な目標もなく、いつも受け身だった。

今となっては、褒めてもらうために通ってたのかもしれない、とすら思う。

 

モチベーションって、脆いんだなあ。

 

もう1か月、ベースに触っていない。

それでも大丈夫な自分に驚いてる。

このまま辞めてしまう自分も想像できないが

なんだか今は、ほんとにやる気が起きない。

 

先生の存在は大きいんだなって痛感した1か月でした。

 

習えるときに、習おう。

学べるときに、学ぼう。

先生がいるうちに、できるだけ多く効率的に、

吸収しなきゃいけないよ。

 

 

 

同窓会…(ゴクリ

私が高校生だった時代なんてものは、もうだいぶ昔になるが、

一部の同窓生たちが音頭を取り、名簿の整備や集まりのセッティングを開始したと聞き、懐かしく思い出している。

 

私は今も昔も紛うことなきコミュ障。

ただもの静かなわけじゃなく、気を許した仲間にはマシンガントークをしてしまうような迷惑な一面があり、デフォルトで嫌われるタイプである。

寛大な心で耐え抜いてくれたごくごく少数の友人とだけ繋がりを残している。

大半の同窓生は私の連絡先を知らないし、前述の同窓会のことも全く知らなかったが、その稀少な友人が私をライングループに追加してくれた。感謝。

 

久しぶりにみんなと会いたいか?と自問すると、

いや、どうだろうな…と悩む。

 

私はこの4月から働いてる新しい職場では誰とも打ち解けず、

喋り相手が居なくてつまらない日々を送っている。

元来多弁なので、物足りない。

そういう意味で、この「喋り欲」を発散できるなら、それは爽快だろうなって思う(相手にとっては迷惑なのだけど。)。

是非とも参加したいところだ。

 

ただ、小学校〜高校当時(※一貫校なのでメンバー一緒)の自分の奇行の数々を思い返すと、

どのテンションで振る舞えばいいか分からない。

 

私は、大学デビューというほどではないが、

高校までシンプルにキモい奴枠で過ごした後、

大学生の頃はキョロ充に転身していた。

 

大学では、

まるで昔から友人たちに認められていたかのような

"普通のヒト"然とした振る舞いをしてた。

キラキラした女の子たちにも構ってもらえた。

 

過去のキモかった自分は無かったことにして、

思い出話などで雲行きが怪しくなれば、

どうとでも取れるような言葉選びをしてやり過ごした。

底根のキモさには流石に勘付いてたかもしれないが

大学の友人は優しく、最後まで仲良くしてくれた。

 

調子に乗った私は、大学で性格そのものも変わったと思う。

自らを奮い立たせてキャラを演じていたら、実際、昔より明るく元気な人間になった。

 

それで、今、困っている。

昔の自分がキモかったことは覚えているのだが、

どんなテンションで、どんな声のトーンで、

どんな喋り方をしていたか、思い出せないんだ。。

 

同窓会に行って、久しぶり〜!って挨拶したとき、

コイツこんな奴だっけ?ってドン引きされるリスクしか無いのである。

無理して明るく振る舞ってるね…と思われるのは痛々しいし、

かといって、普段より暗くするってどうやるんだ??って感じだし。詰んでいる。

 

詰んでいるついでに、黒歴史含め、学生時代の思い出話をしていこうと思う。

 

●保育園〜小学生時代

 

私は、医者から「この子は知◯遅れですか?」と聞かれたことがあるぐらい、変な子供だった。

 

友達と遊ばず、ずっと作り話をして母親に聞かせていたという。

その頃の私の奇行について母は「夢の中で生きているんだね〜」と評するだけで問題視していない。言うまでもないが、変な奴の親は変な奴なのである。全体的に遺伝なんだろうな、と今は思っている。

 

小学生時代から電車通学が始まった。駅から自宅までに出会う全ての生き物を観察していたので、何をやるにもかなり時間がかかっていたのを思い出す。この癖は大人になっても治らなかった。職場で、その日見かけた珍しい色の野鳥の話をしたら、「ふつう鳥とか見ないって(笑)」と失笑されたものだ。

 

勉強も運動もイマイチだったけど、何も負い目を感じていなかった。

今なら性自認がどうこうと言われてしまうかもしれないが、キャラで僕っ子をしていた。

周りが塾に通い始めても、ボーイフレンドのことを話し始めても、我が道を行きながら、中学生になった。精神年齢は小学校低学年の頃のままだったけど。

 

●中学時代

 

なぜだか分からないけど、体調がおかしくなった。すぐに具合が悪くなって吐くし、面倒に思って学校もサボるようになってしまった。自律神経失調症という診断だったけど、いま思うと、頭が悪すぎて「学校に行くのが当たり前」だと理解できてなかっただけのような気もする。自分の現状をあまり深くは考えてなかった。

 

夢想の癖は相変わらずで、嫌いな奴(教諭や同級生など実在する人)を揶揄したキャラクターを作成して、そのキャラクターを使った創作も行っていた。内輪ネタの極み、地産地消である。

その時は一人だけ友達がいて、その子も居場所が無い子だったから共依存の関係だった。その子に創作物を見てもらったり、アイデアを聞いてもらったりしていた。それはそれで楽しくて、毎日イヒヒヒと笑っていたけど。

そんなことをコソコソやってるものだから、「ヤバい奴」「キモい奴」というクラス内での立ち位置が確立していくよね。

 

人生の転機というか、自分でも不思議なくらいなんだけど、中学2年生ぐらいのとき、急激に知能が高くなった。たぶんここで、周りに追いついたと思う。

 

勉強が分かるようになっただけじゃなく、

自分の今までの振る舞いがすごくキモかったこと、

どういう風に思われただろうかと完全に理解して、恥ずかしくて消えたくなった。

2人でコソコソしてるのは心象が悪いと思い、共依存関係にあった友人とも一方的に絶交してしまった。

 

いざ意識してしまえば、「自分みたいなキモい奴がこれを言ったら嫌がられるかな…?」とか考えるようになるから、人間関係にすご〜く臆病になった。

一人ぼっちになった私を気遣い、仲間に入れようとしてくれた友人も居たが、私がどうしても壁を作ってしまう。

例えば、「一緒に帰ろう!」と向こうから言ってもらえれば、受け入れられてる確証があるから喜んでついていくが、嫌がられることに怯えて、自分から打診することは出来なかった。声を掛けてもらえなかった日は、トイレに隠れて時間を潰した後にトボトボ一人で帰っていた。

 

そんな感じで人間関係はイマイチだったけど、勉強は順調だった。

うちの母校は、お勉強よりは国際礼法とか家庭科とかを重視する校風。そんなにガツガツ勉学に励まなくても、境界知能っぽい子もたくさんいるからビリにはならない。ちょっと勉強すれば、平均点よりずっと高い点数が取れる。

大海を知らぬままではあるが、学業成績のおかげで自己肯定感を高めて行くことができた。

 

●高校時代

 

この頃には、自分の居場所だと思う環境が手に入っていた。

私の失礼な言動にもめげずに、仲間に入れてくれた友達が居た。大きなグループの端っこに籍だけ置いてる程度のポジションではあったが、そこに自分の座席があった。当時同じグループに居たはずの友人の大半と連絡を取っていない現状が、交友関係の浅さを物語ってはいる。でもまぁ、自分の席がある、それだけで、孤独にならない確信があって、とっても心穏やかだった。

 

キモい奴という総評は変わってなかったと思うけど、強い子たちからのイジメや、露骨に嘲笑されるようなことは無くなった。あの頃にはもう、スクールカースト(という概念は当時は知らなかったけど)最下位は免れていたはず。

 

あと、学業成績が良かったので、ある程度の人権も得ており、上のカーストの子たちも話し掛けてくれることがあった。主に勉強のことで。

勿論、コミュ障なので壁を作る話し方しかできず、親交は深められなかったけれど。

 

キモさを極めていた時期には、道をあけなかった時などにギャルの子から「もっと頭使えよ!」等と侮辱の言葉を投げかけられ、お前が頭どうしたのかな?と思ったことがあったが、高校時代は、私の学業成績が良いことは知られていたので、馬鹿から馬鹿にされることは無かった。知力こそパワー。人間って、相手を見て判断する生き物なんですねえ。

 

そして、一人ぼっちは解消したけど、あくまでキモい奴というポジションのまま、私は卒業した。

 

みんなの中では、あの時の私で止まってるはずだ。

 

無理して明るくなったことも、

有名大学を卒業したのにニートになったことも(※今は定職に就きました)、

20キロ以上太ったことも、

 

私の現状なんて知らない、

「あーアイツね(笑)キモかったよね(笑)」という感想しかないであろう同窓生たちと、

 

どうやって話せばいいんだろう。ಠ⁠◡⁠ಠ

 

てか、結婚も恋愛もしていないから、身の上話もできない。皆はきっと、子育ての苦労話で持ち切りなんだろうなぁ。。

特殊な仕事だから、共感も得られないだろうし。

 

行かないでおく…?独身子無しの完全週休二日制なのに…?行けない理由が無いのに…?

それはそれでキモいよな…?

 

などと、

悩んでいるのであります。

 

中高一貫校っていうのは、一度キモい枠に落ちると挽回できないという難しさがある。

でも、中高一貫校だったからこそ、長年のよしみで友達が出来たんだよね。

 

まぁウダウダ悩むまでもなく、

みんなは私を友達と認識していないのだから、

キモかろうがマシだろうが変わらないかも。

 

ギャルはまだ怖いけど、今は皆おばさんだし、

たった1日の集まりで荒波が起こったりはしない…

 

…と信じたいけど、

女子校のスピリットは死ぬまで続くとも思う。

ソースは弊社のバイトおばちゃん達。

彼女ら、女子小学生のような喧嘩を未だにやってるからね。

 

取り敢えず、痩せよう。

変わり果てた姿を見せるのは恥ずかしい。笑

さようならおばあちゃん

祖母が亡くなった。

 

私は別におばあちゃん子というわけではないが、

共働きの両親に代わり私を育てたのはその祖母でした。

 

親のような人が死んでしまうって、

こういう気持ちなんだ…とどこか他人事のように思う。

実感が無いのかもしれない。心が麻痺してるかもしれない。

 

ゲームのこととかアイドルのこととか、

別に今じゃなくてもいいことばかりが優先的に脳内に沸いてくる。

脳がわざとそうしてるのかな。人体の神秘だな。

 

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さて、思い出話をさせていただきます。

 

私が生まれたのはオンボロの貸家。

はじめは、父と母と私の3人暮らし。

前述のとおり両親は仕事をしていたので、

私は頻繁に、団地に暮らす祖父母に預けられていた。

 

後から創作した記憶かもしれないけれど、

団地の隣の公園で無限に滑り台で遊んだような、

下の階のおばちゃんが猫を連れてきて

その猫が私のオモチャを舐めていたような、

なんとなくだけど、情景を覚えている。

 

両親が家を建て、祖父母と叔母と同居した。

今おもうと新居で義両親どころか叔母(父の妹)まで同居って頭おかしいし

母の立場なら離婚を考えるレベルだと思うが…よく耐えたものだ。。

 

祖母が私を保育園バスまで送り迎えしていたし、

夜遅くに帰ってくる両親よりも、祖母との時間が長かった。

幼少期の大半は祖父母と過ごした。

父は家事をしないし、母は帰宅が夜遅い。

なので、祖母が家事を全て行っていた。

 

病弱なうえに不安定な職人であった祖父がアテにならず、

祖母は定年まであくせく働き、父たちを育てた。

それでも困窮し、サラ金から借金をしたこともあったという。

まぁ昔だから、多くの人が貧乏だったとは思うけど。

 

そういった厳しい人生を歩んだからか、

祖母はガツガツしていて気が強く、おかしいぐらい社交的で、

しかし学は無いので愚かな判断をしがちな困った人だった。

 

一緒に暮らす中で、衝突したことは数知れない。

祖母の強烈な性格を前に、感謝や尊敬よりも、

呆れ果ててしまうことが多かった。

当然に母(嫁)とは不仲であり、

馬鹿vs馬鹿のくだらない戦いがよく勃発していた。

 

祖母は頭が悪いので口喧嘩では私に勝てず、

不利になると「誰に育てられたと思ってる!」と、

一撃必殺技であるかのようによく捲し立てて来たものだが、

まぁ確かに、別に私は頼んではいないけど

祖母に育てられたというのは間違いない。

 

祖母は定年まで働いてきたから年金は十分に受け取っていたが、

貧乏暮らしの反動か、金の使い方を間違えまくっていた。

あればあるだけ使ってしまうところがあり、

いつも要らないものばかり買ってきた。とくに食べ物。

冷蔵庫が1つでは足りず2つになった。

でもそれを、自分が年金から持ち出ししてまで

私たち孫に食べ物を与えている涙ぐましい姿として

友人たちに吹聴していた。

謎の自己肯定感と作り話は祖母の特技だった。

 

いつも自分が叱られる側だったからか、

私の些細なミスは鬼の首を取ったように大喜びで、

昨日エアコンが付けっぱなしだった!!と3日間ぐらい蒸し返していた。

ちなみに、電源切ったあとの内部クリーン運転状態なのを、

電源が付けっぱなしと祖母が誤認しているだけなのだが、

何度説明しても「言い訳は不要!」と取り合ってくれなかった。笑

 

なんだろう、死んでしまった人を悼むべきだというのに、

悪口ばっかり出てきてしまうな…。

ほんとに、困った人だったんだよ^^;

 

まぁそういう、ウザさの極みみたいな人だったけど、

振り返ってみると、賑やかで楽しい家庭だったかもしれない。

祖母に限らず親戚は誰一人として尊敬していないが、

もともと貧しかったうちの家族も、

二馬力の収入だから、祖母が家事をやったから、

私は保育園から大学までずっと私学に通えたし、

大卒だから就職できたし、今こうして、

自立して生きているんだろう。感謝しなきゃ。

 

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祖母はいつも元気でお喋りでトラブルメーカーだったが、

加齢により、ひとりで家に居るには心配な状況になってきた。

拒否はあったが、嫌々ながらも承諾し、

最終的には介護施設に入所した。

 

この時、私は介護に関連する部署に在籍していた。

現場というよりは、介護疲れでメンタル死んでいるケアラーから

愚痴を聞かされ続けるような仕事だった。

弊社は別に、「どしたん?話聞こか?」と標榜してるわけではないが、

この超高齢化社会、おじさんおばさんの悩みといえば介護なのである。

聞いてくれそうだなと思えば語り出し、止まらないくらいには。

 

客の色んな経験談や、介護関係の講演を聞いて実感したのが、

共依存」に陥っている親子が多いという問題についてだった。

 

「お父さん/お母さんは私が世話しなきゃ!」

「施設にやるなんて悪いことだ!」

と、子が誤解している。

自分を育てた親が弱っている現実を受け入れられてないから、

認知症の奇行に疲弊し、それでも見捨てられない。

 

いっぽう親たちも、優しくしてくれる子に甘えてしまう。

まだ、子が親を介護して当たり前の世代だろうしね。

いつもは甘えているくせに、

介護認定調査員(介護の必要性のランク決める人)が来ると見栄を張って

いつもはできないことも出来てしまう、らしい。

 

そんなかんじで、親子だけの世界が構築され、社会から隔絶される。

共依存カプセル化。これに陥ると厄介なんだ。

足腰もまだ元気なおじさんおばさん(子)が、

お年寄り(親)の世話に追われて自分の時間を持てないなど、

ストレス以外の何物でもないのだから。いつか共倒れする。

 

そんな事例をたくさん見たからこそ、

私は祖母が少し弱り始めてからすぐに、

介護認定を受けるよう助言した。

 

最初は低い等級で、デイだけ通うことになった。

はじめこそ拒否があったが、持ち前の社交性ですぐに慣れた。

苗字ではなく下の名前で呼ばれることにも喜んでいた。

いつしかデイで行われるミニゲームに興じるようになり、

帰宅後は1時間ぐらい、自分の戦績を自慢していた。

 

持論+施設職員さんの私見の受け売りだが、

高齢者は「役割を与える」と元気になる。

デイサービスのミニゲームでプレイヤーに選ぶのでもいいし、

この植木鉢はおじいちゃんが管理してね!って決めるとか。

家庭内なら、カーテンを開けるのはおばあちゃんの仕事ね!とか

軽微でも何か役割分担をあげれば、

自分が必要とされていることを実感して、喜ぶんだと思う。

事実、祖母もデイに通ってすごくいきいきしていた。

 

加齢とともに介護度が上がり、

最初は有料に、最終的には特養に入った。

 

管理されるって大事だなって思ったのが、

祖母は60代の頃から高血圧&肥満で不健康で、

さすがに長生きできないだろうな…という感じだったのだが、

施設に入ってからは、すべての数値が良好になった。

 

祖母の最終的な死因は、老衰でした。

どの数値も安定していて、ただ、加齢で亡くなった。

 

また、祖母は歯磨きもしないし髪も洗わないし

小汚いおばあちゃんだったのだが、

施設に会いに行くといつも綺麗にしてもらっていて、

白髪だけどいつも髪の毛はふわふわだった。

それだけでも本当にありがたかった。

 

何より、あのまま家にいた場合、

認知症により厄介さが増した祖母へ、

家族からのヘイトが溜まることは間違いなかったと思う。

 

ボケ始めの頃、排泄物まみれの衣服を投げつけられたときは、

祖母を憎み、老いた身内を憎む自分の醜さも憎み、

このままではいけない、だから、

このままではいけないと思ったものだ。

 

知ったような口をきいて申し訳ないけど、

祖母を見送って、つくづく思うんだ。

 

愛しているのならば、嫌わないように離れるべきだと。

介護はプロに任せるべきだと。

老人側だって、下手くそな介助やヒステリックな暴言を受けるより

プロに管理してもらったほうが安心だろう。

 

「本人の気持ちが~」とか言い出しちゃったらキリないけど、

在宅で家族が頑張って終える人生と、

施設で管理されて終える人生と、

二択だし、人生は一度だから

別ルートの幸福度と比べることもないだろう。

周りが考えたってもちろん答え出ないし、

本人もそれは、知る由がない。

 

ただ、家族の心身の負担が減ることは、

絶対にマイナスじゃないと私は思う。

私は罪悪感への感受性が強すぎて精神崩壊してしまう…っていうなら

無理にとは言わないけど、、

 

施設入所までは…っていうなら、

在宅の支援をうまく組み合わせるとかでもいいから、

とにかく、介護サービスに頼ることを、悪だとみなさないでほしい。

 

結果として、うちの祖母は、

施設に入ったからこそ、健康に長生きをした。

 

今の時代だから珍しくないのかもしれないけど、

不摂生な祖母が、90代まで生きられるなんて思わなかったなぁ。

 

そして、一緒に暮らしていたときは

あんなに困った人だった祖母に、

晩年、マイナスな感情を抱くことは一度も無かった。

 

そりゃそうだ、たまにしか会わないし、

いつも綺麗に管理されている祖母しか見てないんだ。

 

お世話になった介護士さん、看護師さん、スタッフさん、

本当にありがとうございました。

 

穏やかに別れられたのは、

壮絶な介護に疲弊することもなく、

日常生活を維持できたからだと思ってる。

もちろん、自己犠牲の上に介護を頑張ってる人も偉いと思うよ。

でも、思想や誤解のために選択肢から除いてるなら、

一度、介護サービスの導入を検討してみてほしいです。

心からそう思います。

 

でもお金が…(><)とか思ってる?

本人の年金で足りないなら払ってあげていいと思う。

持ち出しより、受けるメリットのほうがあると思うよ。

いや補填っていうレベルじゃねぇぞ!?ってぐらいお金が無いなら

福祉に相談したほうがいいです。

低所得なら負担割合も低いのだから、それですら払えないってことは

家計がなにか別件でトラブってるんだと思うのでね。

 

(施設で虐待されるかもしれないだろー!!みたいな

 例外をもって反論してくるのはナシでお願いします。。

 あくまで個人の体験談や見聞きした話からの見解です。)

 

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最期の日、入院してから初めてのお見舞いに向かった。

 

「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼び掛けても、

フガフガと呼吸をしているだけで、

目も開けないし、身体を動かすこともなかった。

 

もう数週間前に、

施設に戻ることは出来ない見込みであることは宣告されていたから、

私も、最期の見舞いになるだろうとは覚悟していた。

 

まさか、見舞いの直後に死んでしまうとは思わなかったけどね。

 

 

おばあちゃん。

 

初孫の声を聞いて満足したの?

私を待って、生きていてくれたの?

どんだけ私のことが好きなんだい。

 

おばあちゃん。

毎日送り迎えしてくれてありがとう。

帰りにシルバニアファミリーを買ってくれてありがとう。

ご飯を作ってくれてありがとう。

ジブリのピアノ楽譜集を買ってくれてありがとう。

 

おばあちゃん。

おばあちゃん。

おばあちゃん。

 

おつかれさまでした。またね。

 

歩きタバコきっつい

私は嫌煙家である。

 

タバコのにおいは大嫌いだし、この世から無くなればいいと思っている。

 

うちの最寄り駅の周辺は、歩きタバコサンクチュアリだ。

それはまぁちょっと大袈裟に言ったけど、結構多いのは確か。

 

片道2時間の小旅行(※通勤)を終えて辿り着いた最寄り駅で、

満員電車で疲れ果てた一日のフィナーレに、

毎日わたしは、不愉快な煙で燻製されてしまうんだ。

 

行きの時間(早朝)は人がそんなに居ないし、

喫煙者たちもまだイライラしていないんだろうね、

ぜんぜん煙たくないし、歩きタバコにも遭遇しない。

 

でも、夜は毎日、歩きタバコに遭遇する。

そう、単なる喫煙者じゃなくて、奴らはなんか知らんけど歩いている。

謎の移動する点Pと化し、歩きながら吸っている。

なんでわざわざ?

立ち止まっていても迷惑なのに、なぜさらに上をいく?

なぜずっと私の前を歩く…?

 

渾身の早歩きでそいつを追い抜かすまで、私は煙を浴び続ける。

出来る限り息を止めるも、限界を超えて吸った空気はヤニ臭い。

マスクと口の間にくさい煙が滞留してる感じがして、

何度も何度も咳ばらいをする。30代OLの駅前ルーティン。

 

最寄り駅周辺のタバコウォーカーは複数名いるのだけど、

あるいは、いつも同一個体かもしれない。

みんな似たような中年の男性だから分からない。

駅から薬局の前ぐらいまでの直線の道、そこにまとまって発生している。

とにかく不愉快極まりない。

 

タバコ全般の話に広げるけど、そもそもなんで喫煙を開始するのか。

言うて最初は「イキがり」ですよね?日常生活でウッカリ…は無いだろう。

それで中毒になってるんだから、擁護する要素って無いと思う。

 

目上の男性が飲み会で、「ちょっと一服よろしいですかな?」と聞いてくる。

あれはもう、最悪だ。

髪の毛にもコートにも煙の臭いがついて、

帰宅したちっさなワンルーム全体がヤニ臭くなること確定。忌々しい。

 

相手は許可取ってるんだから断れば?って思われるかもしれない。

でもそれは違う。喫煙者はヤニで精神を保っている(※個人の見解)ので、

その伺いは断ってはいけないのだ。

 

空気読めない私は実際、若い頃だけど、

「え~タバコ嫌い、やめてください(笑)」と言ってみたことがある。

そしたらそのおじさんは明らかに不機嫌になり、

ずっと舌打ちをして威嚇してきて、飲み会全体の空気が悪くなった。

許可してないけど、結局は吸いやがったしな。

電〇の人だった。あの恐怖は忘れない。ヤニ切れの喫煙者は怖い。

 

つまり、「一服よろしいですかな?」は、

女友達に言われる「子供連れてってい~い?」と同じで、

普通にいやに決まってる(※諸説あります)のに

絶対に断らないと知っていて聞くタイプの

形だけのお伺いなのである。騙されてはいけない。

 

においが無ければ吸ってもいいのか?って聞かれると、

それはおおいにYESだ。

 

もちろん、健康を害されるのは困るが、

目に見えない有害物質なんて気づきやしないんだから

怒りの対象が生まれない。

 

つまりはシンプルにくせぇから嫌なのである。

私の前を歩くことでくせぇ煙を過剰に浴びせてくるのだから、

歩きタバコしてる奴は、嫌いすぎて人間と認識できないのである。

 

以前、飲み会でヤニ臭くなったことへの文句を言っていたら、

愛煙家の友人から空リプで、

「タバコを吸っているということだけをもって、

 人格否定をするのは感心しないな。」と

ご指摘を受けた。

 

人が嫌がることを嬉々としてやってる時点で

人間性にも問題があるだろwと思ってしまったのだが、

 

なるほど確かに。

煙が臭いと感じるのは、私ひとりの個人的な感想だな、とも思う。

 

最後のKissがタバコのフレーバーだったりして、

趣深く感じている人も居るんだろう。

ダンディでカッコいいって感じる腐女子も居そうだ。

 

愛煙家の人って、

「税金いっぱい払ってるんだぞ!」ってよく言うよね。

そんなはした税収は要らないから禁煙してほしいんだが。

「肩身が狭い」っていう恨み節も多いですよね。

理不尽に虐げられているっていう認識が強そう。

なぜ被害者面…?って感じてしまうんだけど、、

 

まぁ、そもそも前提が違うんだろうね。

 

われわれ嫌煙家は、

喫煙所に行かずに歩きタバコをすることについて、

便所に行かないで道端で脱糞している奴…ぐらいの嫌悪感を覚える。

 

でも、愛煙家からしたら、

身体に悪いと分かっちゃいるけど摂取してしまうもの…

例えるならタピオカドリンクとか?

そんくらいの感覚で嗜んでるだけ…なんだろうなって。

 

タピオカドリンクなら飲みながら歩いたって叱られないけど、

ご自分たちだけは、小さなスペースしかあてがわれず、

そこをはみ出しただけで叩かれてしまうわけで。

理不尽さは感じると思うわ。

 

分かり合えないだろうねって。

 

嫌煙家も、「くせぇからだよ!!(感想)」では足り無さそうだから

健康被害のことに言及してるんだろうけど

それ言ったとしても、どうせやめないよな。

 

自分も周りも不健康になるからやめましょう!って

昔から言われてるのに、それでもなお吸う層なんだから。

 

過剰にお金がかかろうと、

道行く人に顔をしかめられようと、

愛娘が喘息になろうと、

 

うっせえな税金を多く払ってるんだぞ!

 

なんでしょ?┐(´д`)┌

 

せめて、せめてね?

歩きタバコだけは、やめていただきたいんだよ。

主張を一つにまとめろって言われればそれを言うよ。

 

でも、歩きタバコがこの世から消えたら、

次は「そもそもタバコが消えろや」って思うだろうし、

結局のところ、嫌いという感情がスタートだから

妥協点は見いだせないと思う。

歩きタバコをしない喫煙者だ~いすき♪にはならない。

タバコ吸ってる時点で価値観は違うのだ。

 

愛煙家側も、なにかを譲ったら全部奪われる不安感はあるんじゃないかな。

要求というのはエスカレートするのが常だからさ。

 

だからまぁ…無駄だと知りながらも、実害に対しては

嫌悪感を表明し続ける所存であります。

 

まいにち煙を浴びせられて、

いいよいいよ^^って認めることはできないからね。

 

ずっと舌打ちや咳ばらいを続けていれば、

彼らも気付いて道端に寄ってくれる日が来るかもしれん。

 

ルールの整備とか、世間が片側の肩を持つとか、

それはたぶん、難しいからね。

 

個と個の関係の中で、探っていければと思う。

贔屓目も厳しめも、あるんだよ

いつかの未来、10年前を昨日と錯覚するようになったとき、

そんな話題もあったなって思い出せるように、

時事ネタへのお気持ち表明も残しておこうと思う。

 

別に世の中とかニュース全体に関心が高いほうじゃなくて、

自分の好きなものに関係するからこそ、看過できないネタってだけです。

 

強力な影響力がある某アイドル事務所が、

不祥事で批判されている件について、ですね。

 

とはいえ大元の事件は、被害者がいるセンシティブな話題だから、

イケメン目当てでアホ面で観てるだけのイチ消費者が

軽率に私見を述べるのは適切じゃないかなと思います。

関係者や裁判所が解決する問題でしょうから、そこは黙るフォイです。

 

その事件に関連して…っていうのかな。

色んなお考えの表明があって、たくさんの意見を読んだ。

正直結構、悪い意味で心を揺さぶられたんですよね。

 

それはなんでかな?っていう自己分析です。

 

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はじめまして

初カキコ…ども…

 

勢いで始めてしまったけど、何を書こうかな。

ノリを間違えていたり、失礼があったりしたらごめんなさい。

 

最初の記事なので自己紹介します。

 

はじめまして。西相模の猛牛戦車という名前でブログをはじめました、

イタ気持ち悪い30代独身の芋女です。よろしくお願いします。

 

結婚に子育てにお忙しい同窓生たちとは対照的に、

私は娘として、自分のことだけを考えて生きております。

 

今年の4月から都会に転勤になり、半年乗り越えたところです。

自宅のある神奈川県西から片道2時間かけて通勤しています。

 

新しい職場は都会らしく洗練されていて刺激的ではありますが、

生まれたときからコミュ障なせいで、交流の輪を広げられず、

楽しくお喋りをしていた去年までの職場を恋しく思いながら、

私のことなんか忘れたであろう古巣のことを想いながら、

自分の失敗も無能さも不調も怠けも体重も

全ての不幸を人のせいにしながら、何とか自分を保っている状況です。

 

多弁な人間なのに今の生活では喋りたい欲求を満たせないこともあり、

もはやほぼ誰も居ないタイムラインにお気持ちを連投しております。

読み返してみると、

自分で始めた物語に自分だけが興奮しているテメェでやってろ感、

140文字以内にまとめられずに自分に返信し続ける痛々しさ、

そのすべてが虚しいし、

読まされてる旧友たちにも流石に迷惑だろうなと。

定期的に反省するけど、また喋ってしまう。

 

だったら自分のスペースを作って、思う存分 長文を投稿して、

日々の喋り足りなさを満たしたいな…と思ったのが

ブログ開設の理由になります。

 

有益な情報提供は一切ないですが、

暇つぶしに読んでいただけたら嬉しいです(#^.^#)