同窓会…(ゴクリ

私が高校生だった時代なんてものは、もうだいぶ昔になるが、

一部の同窓生たちが音頭を取り、名簿の整備や集まりのセッティングを開始したと聞き、懐かしく思い出している。

 

私は今も昔も紛うことなきコミュ障。

ただもの静かなわけじゃなく、気を許した仲間にはマシンガントークをしてしまうような迷惑な一面があり、デフォルトで嫌われるタイプである。

寛大な心で耐え抜いてくれたごくごく少数の友人とだけ繋がりを残している。

大半の同窓生は私の連絡先を知らないし、前述の同窓会のことも全く知らなかったが、その稀少な友人が私をライングループに追加してくれた。感謝。

 

久しぶりにみんなと会いたいか?と自問すると、

いや、どうだろうな…と悩む。

 

私はこの4月から働いてる新しい職場では誰とも打ち解けず、

喋り相手が居なくてつまらない日々を送っている。

元来多弁なので、物足りない。

そういう意味で、この「喋り欲」を発散できるなら、それは爽快だろうなって思う(相手にとっては迷惑なのだけど。)。

是非とも参加したいところだ。

 

ただ、小学校〜高校当時(※一貫校なのでメンバー一緒)の自分の奇行の数々を思い返すと、

どのテンションで振る舞えばいいか分からない。

 

私は、大学デビューというほどではないが、

高校までシンプルにキモい奴枠で過ごした後、

大学生の頃はキョロ充に転身していた。

 

大学では、

まるで昔から友人たちに認められていたかのような

"普通のヒト"然とした振る舞いをしてた。

キラキラした女の子たちにも構ってもらえた。

 

過去のキモかった自分は無かったことにして、

思い出話などで雲行きが怪しくなれば、

どうとでも取れるような言葉選びをしてやり過ごした。

底根のキモさには流石に勘付いてたかもしれないが

大学の友人は優しく、最後まで仲良くしてくれた。

 

調子に乗った私は、大学で性格そのものも変わったと思う。

自らを奮い立たせてキャラを演じていたら、実際、昔より明るく元気な人間になった。

 

それで、今、困っている。

昔の自分がキモかったことは覚えているのだが、

どんなテンションで、どんな声のトーンで、

どんな喋り方をしていたか、思い出せないんだ。。

 

同窓会に行って、久しぶり〜!って挨拶したとき、

コイツこんな奴だっけ?ってドン引きされるリスクしか無いのである。

無理して明るく振る舞ってるね…と思われるのは痛々しいし、

かといって、普段より暗くするってどうやるんだ??って感じだし。詰んでいる。

 

詰んでいるついでに、黒歴史含め、学生時代の思い出話をしていこうと思う。

 

●保育園〜小学生時代

 

私は、医者から「この子は知◯遅れですか?」と聞かれたことがあるぐらい、変な子供だった。

 

友達と遊ばず、ずっと作り話をして母親に聞かせていたという。

その頃の私の奇行について母は「夢の中で生きているんだね〜」と評するだけで問題視していない。言うまでもないが、変な奴の親は変な奴なのである。全体的に遺伝なんだろうな、と今は思っている。

 

小学生時代から電車通学が始まった。駅から自宅までに出会う全ての生き物を観察していたので、何をやるにもかなり時間がかかっていたのを思い出す。この癖は大人になっても治らなかった。職場で、その日見かけた珍しい色の野鳥の話をしたら、「ふつう鳥とか見ないって(笑)」と失笑されたものだ。

 

勉強も運動もイマイチだったけど、何も負い目を感じていなかった。

今なら性自認がどうこうと言われてしまうかもしれないが、キャラで僕っ子をしていた。

周りが塾に通い始めても、ボーイフレンドのことを話し始めても、我が道を行きながら、中学生になった。精神年齢は小学校低学年の頃のままだったけど。

 

●中学時代

 

なぜだか分からないけど、体調がおかしくなった。すぐに具合が悪くなって吐くし、面倒に思って学校もサボるようになってしまった。自律神経失調症という診断だったけど、いま思うと、頭が悪すぎて「学校に行くのが当たり前」だと理解できてなかっただけのような気もする。自分の現状をあまり深くは考えてなかった。

 

夢想の癖は相変わらずで、嫌いな奴(教諭や同級生など実在する人)を揶揄したキャラクターを作成して、そのキャラクターを使った創作も行っていた。内輪ネタの極み、地産地消である。

その時は一人だけ友達がいて、その子も居場所が無い子だったから共依存の関係だった。その子に創作物を見てもらったり、アイデアを聞いてもらったりしていた。それはそれで楽しくて、毎日イヒヒヒと笑っていたけど。

そんなことをコソコソやってるものだから、「ヤバい奴」「キモい奴」というクラス内での立ち位置が確立していくよね。

 

人生の転機というか、自分でも不思議なくらいなんだけど、中学2年生ぐらいのとき、急激に知能が高くなった。たぶんここで、周りに追いついたと思う。

 

勉強が分かるようになっただけじゃなく、

自分の今までの振る舞いがすごくキモかったこと、

どういう風に思われただろうかと完全に理解して、恥ずかしくて消えたくなった。

2人でコソコソしてるのは心象が悪いと思い、共依存関係にあった友人とも一方的に絶交してしまった。

 

いざ意識してしまえば、「自分みたいなキモい奴がこれを言ったら嫌がられるかな…?」とか考えるようになるから、人間関係にすご〜く臆病になった。

一人ぼっちになった私を気遣い、仲間に入れようとしてくれた友人も居たが、私がどうしても壁を作ってしまう。

例えば、「一緒に帰ろう!」と向こうから言ってもらえれば、受け入れられてる確証があるから喜んでついていくが、嫌がられることに怯えて、自分から打診することは出来なかった。声を掛けてもらえなかった日は、トイレに隠れて時間を潰した後にトボトボ一人で帰っていた。

 

そんな感じで人間関係はイマイチだったけど、勉強は順調だった。

うちの母校は、お勉強よりは国際礼法とか家庭科とかを重視する校風。そんなにガツガツ勉学に励まなくても、境界知能っぽい子もたくさんいるからビリにはならない。ちょっと勉強すれば、平均点よりずっと高い点数が取れる。

大海を知らぬままではあるが、学業成績のおかげで自己肯定感を高めて行くことができた。

 

●高校時代

 

この頃には、自分の居場所だと思う環境が手に入っていた。

私の失礼な言動にもめげずに、仲間に入れてくれた友達が居た。大きなグループの端っこに籍だけ置いてる程度のポジションではあったが、そこに自分の座席があった。当時同じグループに居たはずの友人の大半と連絡を取っていない現状が、交友関係の浅さを物語ってはいる。でもまぁ、自分の席がある、それだけで、孤独にならない確信があって、とっても心穏やかだった。

 

キモい奴という総評は変わってなかったと思うけど、強い子たちからのイジメや、露骨に嘲笑されるようなことは無くなった。あの頃にはもう、スクールカースト(という概念は当時は知らなかったけど)最下位は免れていたはず。

 

あと、学業成績が良かったので、ある程度の人権も得ており、上のカーストの子たちも話し掛けてくれることがあった。主に勉強のことで。

勿論、コミュ障なので壁を作る話し方しかできず、親交は深められなかったけれど。

 

キモさを極めていた時期には、道をあけなかった時などにギャルの子から「もっと頭使えよ!」等と侮辱の言葉を投げかけられ、お前が頭どうしたのかな?と思ったことがあったが、高校時代は、私の学業成績が良いことは知られていたので、馬鹿から馬鹿にされることは無かった。知力こそパワー。人間って、相手を見て判断する生き物なんですねえ。

 

そして、一人ぼっちは解消したけど、あくまでキモい奴というポジションのまま、私は卒業した。

 

みんなの中では、あの時の私で止まってるはずだ。

 

無理して明るくなったことも、

有名大学を卒業したのにニートになったことも(※今は定職に就きました)、

20キロ以上太ったことも、

 

私の現状なんて知らない、

「あーアイツね(笑)キモかったよね(笑)」という感想しかないであろう同窓生たちと、

 

どうやって話せばいいんだろう。ಠ⁠◡⁠ಠ

 

てか、結婚も恋愛もしていないから、身の上話もできない。皆はきっと、子育ての苦労話で持ち切りなんだろうなぁ。。

特殊な仕事だから、共感も得られないだろうし。

 

行かないでおく…?独身子無しの完全週休二日制なのに…?行けない理由が無いのに…?

それはそれでキモいよな…?

 

などと、

悩んでいるのであります。

 

中高一貫校っていうのは、一度キモい枠に落ちると挽回できないという難しさがある。

でも、中高一貫校だったからこそ、長年のよしみで友達が出来たんだよね。

 

まぁウダウダ悩むまでもなく、

みんなは私を友達と認識していないのだから、

キモかろうがマシだろうが変わらないかも。

 

ギャルはまだ怖いけど、今は皆おばさんだし、

たった1日の集まりで荒波が起こったりはしない…

 

…と信じたいけど、

女子校のスピリットは死ぬまで続くとも思う。

ソースは弊社のバイトおばちゃん達。

彼女ら、女子小学生のような喧嘩を未だにやってるからね。

 

取り敢えず、痩せよう。

変わり果てた姿を見せるのは恥ずかしい。笑